【☆学長短信☆】No.36「知行合一の教育」

 昨年の4月に本学に入学や赴任を果たした皆さんは、これまでのほぼ1年の間に本学の基本的な考え方や方針、いわば福大スピリットにどれほど触れる機会があったでしょうか。新入生や新任教職員だけに問うべきことではないでしょうが、長く居れば、それなりに目に付いたり、耳にしたりする機会も増えるというものです。そんな基本的な考え方の一つとして、本学の建学の精神の中には「知行合一(ちこうごういつ)の教育」を行うと記されています。これは中国明代の王陽明(1472~1529年)が興した陽明学の命題の一つであり、読んで字の如く、知ることと行うことは分離不可能であるという考えです。それより前の南宋の時代に朱熹(1130~1200年)が打ち立てた朱子学では、先ず万物の理を極めてから実践に向かうべきだとする「知先行後」が唱えられたことを批判した結果と考えられています。

 南宋や明の時代よりずっと前の紀元前4世紀の『荀子』という書物の「儒效篇」には「学は之を行うに至って止(とど)まる」という言葉が見られます。つまり、学問は、単に知識として身につけているだけでなく、結局のところそれを実行するところにまで至って、はじめて最高の状態に到達し、他に移ることがないと考えるべきだというのです。ちなみに、『荀子』の作者の荀子は孟子に次ぐ大儒と言われるほどの人物ですが、孟子が性善説に立って人の本性のありようを解釈したのに対して、荀子は性悪説を唱えました。すなわち、人の本性はあるがままに放任すれば、必ず自己中心となって自らの利益ばかりを考え、他者を顧みることがないが故に争いが起こる、従って、礼を以て生来の性を抑制する必要があると説いたことで知られます。

 ところで、知と行との関係について、私はもう一人忘れられない人物がいます。中国の教育に少しでも関わる人であれば、誰でもその名を聞いたことがあると思われる陶行知(1891~1946年)という人です。安徽省歙(きゅう)県の貧しい教師の家に生まれた陶は、本名を陶文濬(ぶんしゅん)と言います。科挙体制下で地元の篤志家知識人の薫陶を受けるとともに、キリスト教系の学校に学んで洋学の影響を受け、ミッション系大学の一つ金陵大学で学んだ後、アメリカに留学しています。アメリカでは先ずイリノイ大学で政治学の修士号を取り、さらにコロンビア大学のティーチャーズ・カレッジに進んで教育学を学びます。ここでジョン・デューイに師事し、「教育即生活、学校即社会」など経験主義思想に大いに触発されます。1917年に帰国後は、南京高等師範等で教育学を講じるとともに、教育改進運動に邁進しました。戦時下の重慶でも有名な育才学校を運営し、「生活教育」を実践するとともに、今風に言えば社会教育の先駆的な活動を展開しました。こうした活動により、後に「偉大な人民教育家」といった毛沢東による標語をはじめ、中国教育界の偉人の一人と見做されています。

 この陶は、もともとミッション系の学校に学びながらも、冒頭に述べた王陽明の「知行合一」の思想に傾倒し、初めのうち自ら陶知行と名乗っていたのですが、1930年代に自ら陶行知と改め、これ以降の署名に使っています。知行合一ではなく、行こそが知の始めであり、知の完成であるとの考えに到達したからであり、多くの実践を通じて王陽明哲学を越えたのだと言われます。ただ、上述したとおり、『荀子』にはすでに行の重要性に着目した格言が見られます。

 知ることと行うこととの関係を学問的に突き詰めるのは、それほど簡単なことではないことが上記の説明だけでも分かります。どちらが先であり、重要であると考えるによせ、本学の教育が「頭でっかち」の学生を育てることを目指すのはなく、常に実践と結びついた状態を志向していることを銘記しておきたいものです。