【☆学長短信☆】No.29「ヨハネ・パウロⅡ世の言葉の書」

 本学に対して贈られた各種の賞状や海外協定校からの記念品などを収めた学長室のガラス製の飾り棚にちょっと変わった書を置いています。1981年2月下旬に初来日のローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が広島平和記念公園の慰霊碑前で話された「平和アピール」全文の日本語訳を筆で書いたものです。

 話は昨年8月1日の学長短信で書いた「8・6を前にして」につながります。公開後の8月10日に珍しい来客がありました。工学部の建築学科を定年で先年退職された宮地功教授でした。私が上記の駄文の中で法王によるアピールの一節に触れていたのが目にとまった由。ヒロシマの事に関心があるなら見せたいものがあるということで、わざわざご持参くださったのが上記の書です。何でも本学在職中に研究室の扉に張っておられたとか。時間の経過のために、状態が必ずしも良くないが、お収め頂きたいとのことでした。88㎝×42㎝のスチレンボードに原本を写真製版した書が貼ってありました。

 この作品の作者が月下美紀さんとおっしゃる方であることも、その時に教わりました。漢字表記からは一見すると女性かとも思いますが、「つきした よしのり」とお読みするようで、インターネット上で長い顎髭を蓄えた写真も確認することができました。自ら、被爆アーチストと称され、「墨アート」作家として各地を転々としながら、作品を広めていらっしゃるらしいとの説明を宮地教授から伺いました。本学の松田文子前学長とは広大附属での同窓だったと聞き、ご縁があるなと思い、気になって調べて見ると、「1941年広島生まれ。1945年に爆心地から4キロメートルの戸坂村で被爆」とあります。独自の墨アートで、「平和へのひとりごと展」を始め、全国各地で同展覧会を開催し、国内のみならず1991年にはハワイの真珠湾の近くで「平和へのひとりごと展」を開催し、1992年にはソウルでも開催されています。2011年に起こった東日本大震災、原発事故の後には、1945年に広島で被爆しながら強い生命力で生き残ったアオギリの種を届け、その後も墨アートで支援されたと知りました(月下美紀『被爆アーチストの旅』花伝社、2012年刊)。

 この法王の言葉の墨アートは、自らの作品を1986年にヨハネ・パウロⅡ世に献上し、法王直筆のサインを頂いたものとか。確かに、作品の右下には法王のサインがはっきりと記されています。文字全体で描かれた形象は魚のようにも見えますが、原爆資料館に展示されているのを見た覚えがある、広島に投下された「リトルボーイ」とか、長崎に投下された「ファットマン」と呼ばれた原子爆弾の外形をかたどったものではと想像しました。

 「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」という日本語で始まる法王のスピーチは実に印象深いものでした。とくに、ラテン系言語の話者は語頭のHを発音しない場合が多いそうですが、法王もおそらくアルファベットで書かれた日本語文の原稿をお読みになったのでしょう。冒頭の「hakai(破壊)です」を「akai(赤い)です」と発音されたように聞こえたことと合わせて、40年以上も経った今でも妙に鮮明に耳に残っています。

 5月のG7広島サミットでは各国首脳が平和公園を訪れ、平和資料館では無数の展示物の置かれた本館ではなく、入り口のある東館で本館から運ばれたいくつかの原爆の遺品を見たり、被爆者のお一人の話を聞いたりする機会が、限られた時間ながら設けられたと言います。その後、カナダのトルドー首相だけは別途時間を設け、一人で資料館を参観されたとの報道がありました。一方、「核なき世界の実現」が唱えられたとはいえ、核抑止論が正当化され、核兵器廃絶への具体的道筋は示されることなく、理想からはほど遠いとの批判も聞かれました。今回の努力は、ヒロシマの願いに向けたごく小さな一歩かも知れません。改めて今、くだんの書に目をやると、国民の窮状をよそに核開発に血道を上げる者やウクライナ戦線の膠着打開のためであれば戦術核の使用も辞せずと考える者がいる状況を前にして、君はただ沈黙しているだけかと、今は亡き法王のスピーチの書が見る者に問いかけているように思えます。