【☆学長短信☆】No.12 「小さな挨拶運動」

昨年4月、学長として臨んだ最初の全学教授会で、いわば「所信」を表明しました。その中で、①真面目に努力した人間が報われるような環境作り、②徹底した現場主義を貫く、③同僚による授業の相互点検(いわゆる「授業研究」)、という学長の仕事を進める上での三つの方針を挙げました。これらに加えて、「笑顔、挨拶、外国語」の三つが溢れるキャンパスにしたいという抱負にも触れました。もっと高邁な理想や抱負を掲げられないものか、小学校でも英語の授業が始まった今、まるで小学生への訓話みたいじゃないか、そう考えられた方もいらっしゃったかもしれません。 

最初の抱負の「笑顔」に関して、人間は嬉しいから笑うのではない、笑うから楽しくなり、幸せになると心理学者ウィリアム・ジェームズなど多くの人が笑いの効用について述べています。笑いはエネルギーの源です。笑顔のない組織は沈滞している組織であり、組織の健康という点で笑顔はバロメーターです。騙されたと思って笑顔を作ってみているうちに何かが変わるはずです。三つ目の「外国語」は、国際化の強化もさることながら、マイノリティへの配慮も含む多様化の要を象徴的で分かり易い表現に込めたつもりでした。残る二番目の「挨拶」について、今回の短信は現時点での日頃の思いを書き綴ってみようと考えました。 

上記の全学教授会でも触れたエピソードですが、私が本学に赴任した8年前の春の歓迎会で、おそらく新任者の中で最年長という理由で、代表で挨拶をする羽目になりました。その際に私は、「これまで縁もゆかりも全くなかったこの大学が少しだけ好きになりました」と言いました。勤務開始からの何日間かのうちに、挨拶してくれる学生に出会ったからです。対面ですれ違いざまの「こんにちは」は他の所でも時にはあるでしょうが、私を後ろから抜き去っていく際、わざわざ振り返って挨拶してくれた学生もいたのです。自分のゼミ生ならいざ知らず、こんなことはそれまで勤務したどの大学でも無かったのです。但し、それが普遍的な現象でないと知るのに長い時間は要りませんでした。学生はもちろん、なんと教員の間でも、廊下ですれ違って、こちらが挨拶しても何も返ってこない場面に出くわして驚いたものです。広い世間での話ではないのです。同じ学内を歩いている人であれば、おそらくこのコミュニティの仲間のはず。たとえ私に対して「何か虫の好かない奴だ」と思っていても、とりあえず挨拶を交わしてみては如何かと思うのです。最初に挙げた笑顔に通じるところがありますが、これで何かが変わるはずです。挨拶の習慣が学生に広く浸透した時、例えば、本学の就職戦線に必ずや新たな変化が起こると断言しても良いです。 

挨拶に関して、こんな思い出や経験があります。1970年代半ば、アメリカ南部のナッシュビルで大学院生として過ごしていたときのことです。キャンパス内ではなく、人通りがまばらな街を歩いていて、見ず知らずの人とすれ違う際、目が合うと、ニコッとしたり、ウィンク的なしぐさであったり、あるいは「ハーイ」と小声でつぶやいたり、声に出さないまでも明らかにそう発音しているのが分かる口の動きや表情に何度も出くわしたのです。気のよさそうな中高年の婦人のほうが比較的多かったように思います。未だ日本人を含むアジア人がごく限られていた頃のその街で、明らかに外国人と分かる私への心配りだったかも知れません。その後もたまに出かけた他の欧米の国の街角でも同じような経験をしたことが無くはありません。他方、よく出かけた中国ではこの経験はありません。逆に中国では、一度でも顔見知りになったことのある人に街で出くわそうものなら、まるでもう「百年の知己」のような挨拶。以上は私の単なる個人的な印象論、狭い経験知であり、こうした現象を心理学的、文化人類学的、社会学的に解釈する力はありませんが、とくに海外での挨拶は気持ちをホッとさせる得難い瞬間です。 

ついでにもう一つ挨拶話。わが家の町内のゴミステーションは集団登校前の小学生たちの集合場所になっています。ずっと前、この子ども達に向かって「おはよう」と呼びかけました。しかし、素知らぬ顔。中には胡散臭そうにこちらを見る子もいました。同じ町内でゴミ袋を手にやって来るオッサンが不審者のわけがないでしょう。これは「知らない人とは口を利いてはダメ」と教えられているのかも知れないと思い、無視されても挨拶を続けました。すると、暫くして小学校23年の女の子が初めて「お早うございます」と応えてくれたのです。それから先は、つられるようにリーダー格の愛想の悪そうな男の子まで「お早うございます」。さらには向こうから先に挨拶して来るようにまでなりました。思わず「みんなエライね、お利口さんだね、ちゃんと挨拶ができて」、と私。 

さて、学長就任から瞬く間にほぼ1年が経ちました。これまでの期間、率先垂範、自ら実践せねばとキャンパス内で積極的に挨拶して来たつもりです。実は、本学への着任以来ずっと気持ちだけはあり、できるだけ挨拶に心掛けてはいました。しかし、正直に告白しますと、少なからぬ学生から見れば、「どこの馬の骨」と感じられるかも知れないと思うと気後れがして、「お早うございますの“お”」「こんにちはの“こ”」が素直に出て来ないこともありました。しかし、今や恥ずかしいなどと言っている場合かと肝が据わりました。これはきっとポストのなせる技でしょう。 

ジャージ姿の運動部員をはじめ、学生諸君からはたいてい気持ちよい挨拶が返ってきます。毎朝、ほぼ出会う人たちの顔は記憶にも残るようになりました。満面の笑みで「おはようございます」と言ってくれる人もいます。一方で、何度出会ってもどうしても挨拶を交わすのに至らない人もいます。両耳を塞いだイヤホンのせいで聞こえないのかなとも思って、特に自分自身の動きに気を配ってみたこともありましたが、やはり駄目。そっぽを向かれてしまう始末です。自分の周りに10人の人がいたとしたら、2人は気の合う人、7人はどちらでもない人、1人は気が合わない人という、心理学者カール・ロジャースの人間関係についての「271の法則」もあるようです。無理強いしては1割の人にとっては却って迷惑になるかとの反省も含めて、内心密かに葛藤することもあります。 

ともあれ、この「小さな挨拶運動」は他人様から何と言われようと、続けて行こうと思います。ちなみに、上述した何年か前の新任歓迎会で「少しだけ好きになった」と表現したこの大学が、今では「大好き」になっています。