【☆学長短信☆】No.8 四つのバリアー

すでに1か月余り前の話になります。本学の交流協定締結校である中国の対外経済貿易大学が創立70周年を記念して、同大と交流のある海外15大学の学長等を招聘して国際フォーラムをオンラインで開催しました。協定校として祝意を表すためにも招聘を断るわけにいくまいと参加を決めました。その模様については、国際センター長と国際交流課が開催の数日後の921日には早くも学長室ブログ「海外協定大学との学術交流」にまとめて公開してくれました。統一テーマは「世界の高等教育に関するガバナンスと協働について」というものでしたが、主にコロナ禍との関わりで大学教育の在り方を議論することが企画されました。基調講演をとの依頼でしたから、これは気合いを入れて取り組まねばと、かなり長い原稿を準備しました。しかし、その後の主催者との遣り取りの中で、おそらく多くの学長に発言の機会をしていただこうとの配慮からでしょうが、5分以内で、いや最長8分以内で、と注文が来ました。内容を削りに削りました。フォーラムの本番では、最初に型どおりの挨拶をした後、中国の大学主催でおそらく視聴者の多くは中国語話者でしょうから、敬意を払って、本論部分は中国語で話すことにしました。私の講演部分の録画まで含めて、上記ブログに簡潔にまとめられています。そのブログではわずか23行で書かれていますが、遠隔で提供される大学教育の世界的なガバナンスや協働という点で、私が考える4つのバリアーないし障壁に関連して、ここでもう少しだけ詳しく述べておきたいのです。 

 

確かに、インターネットを介した遠隔授業により、今や空間の障壁はほぼ完全に取り除かれたようです。コロナ禍という疫病神に対処するために、否応なく適応せざるを得なかったオンラインでの諸活動ですが、授業に限らず会議出席も含めて、この2年近くの間に移動に要する時間と経費がどれほど節約できたか知れません。まさしく「怪我の功名」です。加えて、引きこもりや学習障害、身体に障害があるなどの学生に学ぶ機会を提供できるのは、遠隔授業の優れた点です。さらに言えば、これまでは出張などによる教員の不在時や自然災害の場合など、授業を休講にせざるを得ませんでしたが、予め準備さえしておけば、授業当日に休講にする必要はなくなるでしょう。空間の障壁を取り除いた遠隔授業は「苦肉の策」どころではなく、まさしく「災い転じて福となす」の譬えどおりです。しかしながら、授業において学生の理解度を瞬時に把握し、その時々に時宜を得た指導を行う上で、やはり対面授業に勝るものはないように思います。 

 

次に、国内に限定した場合なら何の問題もないのですが、もし国境を越えた広がりの中で遠隔授業、とくにオンデマンド型でなくZoomなどを使った同期型双方向の授業を考える時には、時間の障壁を考えなくてはなりません。今回のフォーラムのように、隣国である日中間では北京時間とわずか1時間の時差でしたが、それでも種々の調整が必要でした。いわんやヨーロッパやアメリカやアジアでも遠い国という、何時間もの時差のある異なるタイムゾーン(時間帯)の間で同期型の遠隔授業を実施しようとすれば、いずれかの生活時間に合わせる必要が生じます。 

 

以上、空間と時間という二大障壁が取り払われたとしても、さらに考慮すべき点が残ります。第三に、制度の障壁です。ごく部分的に、特定の授業内容のみを切り取って相互利用する場合には、制度の障壁は関係ありません。しかし、遠隔授業による本格的な双方向的教育を考える場合には、学期制、入学や学年の始期、卒業に必要な単位数、週当たりの授業コマ数や1コマの授業の単位時間など、制度面での差異にどう対処するかが問題になります。例えば、本学を含めて日本やアジアの多くの大学生は1週間に10コマ余りの授業を履修していますが、欧米ではずっと少ないことが知られています。1コマの授業時間数や単位数が異なるため、単純な換算は無理ですが、例えばアメリカの大学生は1週当たり日本の半分程度のコマ数の授業に出ています。連携する地域や大学間で制度的な統一ないし画一化の方向を採るか、それとも多様性を保持したままで協働を図るかの選択を行わなければならないでしょう。 

 

そして、最後に何語を教授用語とするか、言葉の障壁も問題です。多くの言語に精通した学生や大学教員を想定することは容易ではありません。自分のことを言えば、外国のことを対象とする比較教育学を専攻する者は、研究者の教養言語である英語はもちろん、自らのフィールドとする地域があれば、その地の言葉を身に付けよという師の教えを守って研鑽して来たつもりですが、未だ未だとても自分で納得できるレベルに達しません。完璧な同時通訳ソフトの開発に成功すれば、問題は一挙に解決するでしょうし、長く苦しい外国語学習・教育の在り方も将来変わって来るかも知れません。最近は海外旅行必携と称して各国語に訳して発音まで聞ける簡易なツールもできています。簡単な日常会話なら既に十分に用を足せそうですが、複雑高度な内容になれば、未だ使い物になりません。そうした便利で完璧なアプリやソフトが手に入らないとすれば、そして日本語が共通言語になり得ないとすれば、「英語帝国主義」に嫌悪感を抱きながらも、英語を典型とするいずれかの言語を共通の教授用語として使用するか、あるいは他の国や地域の別の言語に自ら合わせるかしなければ、真の意味での有効な遠隔授業は成立しないでしょう。 

 

とにかく、コロナ禍の後、空間、時間、制度、言葉という以上4つの障壁が取り除かれた状態で大学教育を共有する国際的な運用が可能かどうか、そして如何にして質を保証するか、われわれは尚いっそうの研究を必要としているのです。