【☆学長短信☆】No.1 「短信事始」

 学長短信は、「構成員とのコミュニケーションツールあるいは大学から外への発信ツール」として牟田泰三前々学長が始められたものです。松田文子前学長はこれを受け継がれ、10年余にわたり毎月初めに営々と書き綴って来られました。その最終回(No.142「私も卒業します!」)で、「次の学長に『続けてはいかがですか』と、提案したいと思います」と書き残されました。後をお引き受けした者としては、こう提案されてそれに応えないわけにいかないでしょう。いわば生徒が先生から宿題を出されたようなものですから。

 というわけで、記念すべき初回を飾るのにふさわしいテーマはと、暫し思いを巡らし、蘭学医の杉田玄白よろしく「短信事始」と表題を取り敢えず書いてみました。しかし、肝心の中身についてはなかなか良いアイデアが浮かばず、パソコンのキーボードに乗せた手は一向に動きません。そんな時、ふと我が部屋に掛かった一幅の中国画が目に飛び込みました。両側の髪の毛だけを残したヘヤースタイルの子ども達が遊びに興じる実に可愛らしい絵です。そこに書かれた言葉「一切為了下一代的幸福(すべては次世代の幸せのために)」こそ、この何十年か、私が教育の信条としてきたものです。そこで、私が担当する最初の学長短信にそのことについて書いておくことにしました。

 この絵には「北京師範大学外国教育研究所全軆同仁贈」、日付は「198211月」、「大塚豐先生旅華紀念」と書かれています。日中国交回復の1972年からようやく10年になろうとする頃、両国間の本格的な学術交流を始めるために、中国の教育部(文部科学省)と日本学術振興会との間で研究者の相互派遣協定が締結されました。その協定の御蔭で、当時たまたま文部省の直轄研究所である国立教育研究所で専ら現代中国教育研究を行うポストに就いていた私が最初に選ばれて、中国での半年間の長期滞在研究を許されることになったのです。それまで研究対象として資史料を通じて知っていただけのフィールドに実際に入れるのですから、30代初めの若い研究者にとっては願ってもない機会でした。採用後2年ばかりの若造に研鑽の機会を与えて下さった国研と故木田宏所長、そして選抜のための面接試験を担当された比較宗教学の権威ながら当時は学振で行政職に就いておられた故阿部美哉元國學院大學長に感謝するばかりです。面接で私は未熟な受け答えをしたような気がします。それにもかかわらず、おそらく若者の熱意や可能性を多少は買って下さったに違いありません。それ以来、私も若い人たちを見るとき、潜在力を見抜く力量は未だに備わらないものの、少なくとも物事に向かう積極性や熱意を認め、必要なら「けしかける」ことだけは心掛けてきたつもりです。 

 さて、2歳になったばかりの娘を妻に任せっきりで出かけた単身の旅は、夫や父親として褒められたものではなく、後ろめたさもあり心残りでしたが、研究対象への憧れが勝りました。たまに遣り取りする航空郵便で寂しさをまぎらしつつ、小田実流の「何でも見てやろう」精神で、夢中で過ごした懐かしい日々です。その後、2度の長期研究滞在や数え切れないほどの短期訪中を経験することになりましたが、この82年のことはいつまでも忘れられません。いまだに付き合いのある親友・知人もこの時以来の方が少なくありません。半年のうちに、中国の三大教育系大学である北京師範、吉林省長春の東北師範、上海の華東師範に滞在しました。北京師範大学はこの時の在外研究の拠点であり、その後も最も深い付き合いのある大学であって、研究を終えて帰国する直前に上記の中国画を贈られることになったのです。ついでに、もう一つネタばらし。北京師範大学から交付された当時の身分証明書には、「職称」の欄に、年齢や実力とは不釣り合いの「教授」と記載されています。当時の中国では、研究職の職階である「研究員」は教育職最上位の「教授」と同格。日本の研究機関では一番下っ端の「研究員」が提出した履歴書の職階欄を見て、まだ両国間の交流経験がきわめて限られていた大学の担当者が2言語の意味内容を知ってか知らずか、この期間中だけ「教授」に、三階級くらい特進させて下さったという笑い話です。 

 学長短信の初回が、いったん書き出すと、思わぬ個人的な思い出話に傾いてしまいましたが、大事なことは、教育の在り方に関して、学長としての私の信条や考え方の一端を示すことでした。ここで述べたとおり、今後とも、何らかの事態に直面し、判断を下す必要が生じたとき、その判断が目の前のその学生、あるいは学生全体にとって役立つか、つまり「次の世代の幸せ」につながるかどうかという立場に立とう考えています。なお、今後の学長短信では、教育に対する私の考え方ばかりでなく、本学の内外で起こるさまざまな事象についての時評、各分野の専門家の見解の紹介やそれへのコメント、これまで訪れた体験を通じて心に残る各国の大学の話、その他もろもろの「心に移りゆくままの由無し事」も含めて、そこはかとなく書き綴って見ようと思っています。前学長から与えられた宿題に及第点がとれるかどうか、ご笑覧賜れば幸いです。