【大学教育センター】『学長室の独り言―悲喜こもごもの第一期四年間』刊行なる!!

大塚豊学長がこれまで発信してきた「学長短信」が、このたび一冊の本として刊行されました(東信堂、2025年6月30日刊)。2021年4月から2025年3月までの4年間、毎月欠かさず届けられた全48話を収録。挨拶や田植え、学生との対話、教育理念など、徹底した現場主義を貫く学長の姿が描かれています。福山大学開学50周年の節目に出版された同書について、大学教育センター副センター長の今井教授から寄稿いただきました。(投稿は、大学教育センターでFUKUDAI Magメンバーの前田です。)
遂に、でしょうか。まさか、でしょうか。本学の学長である大塚豊教授の「独り言」が一冊の書籍となりました。その「はじめに」では「我が大学で先々代の学長から続いてきた慣行が、専任教職員に向けて発信する『学長短信』なるメッセージです」とあります。本書は、大学教育センターの所属である大塚教授が本学の学長就任以来、毎月1日に欠かさず発信していた各短信を「ほぼそのまま取り纏めたもの」で、2021年4月1日の「短信事始」から2025年3月1日の「学長室ブログ譚」までの「第一期四年間」全48話から成ります。

最後の第48話の冒頭には「学長就任直後の全学教授会で自分自身の仕事の流儀として『徹底した現場主義を貫きます』と宣言しました」とあります。学長就任から一年が経とうとする頃に発信となった「第12話 小さな挨拶運動」では「これまでの期間、率先垂範、自ら実践せねばとキャンパス内で積極的に挨拶して来たつもりです」とあり、「第15話 大学田での田植えの季節が到来!」では、伝統を守るために自らが立ち上げた稲作研究同好会でその仲間、学生や教職員らと田植えを行う様子が描かれ、「第20話 キャンパス内の神社」では、折に触れて本学のキャンパスの中にある神社に足を運んでは「本学の安寧」を祈る大塚学長の姿が見られます。「挨拶」「田植え」「お参り」だけではありません。第21話や第38話などでは「本学に入学しても、さまざまな理由から、途中で方向転換や退学を希望する学生」へ心を寄せて「当該の担任に電話して事情を聴く」大塚学長のキメ細やかさが窺え、第39話では「年に一度、学生と学長が種々の問題について自由に意見交換する場も設けて」いることが紹介されています。現場主義は、こうして貫かれています。
本書の「おわりに」では、四十数年前の、ある日の面接で問われたことに対して咄嗟に「教育学の研究を志す者として、その対象は何であれ、目標は最終的に自分なりの教育哲学を確立することだと考えています」と答えたことを振り返りながら、「未だにこれぞ自分の教育哲学と言えるようなものを打ち立てられたとは思えません」としつつも「血となり肉となっているかのような、教育や人間に関する自分なりの細切れの考え方や見方が仮に身に付いているとして、それを実行に移せることのほうが遥かに意義深いと考えます」とあります。本書は、本学の建学の精神に謳われる「知行合一」の実現を目指して大塚学長が自ら実践してきた貴重な記録であるとも受けとめられます。例えば「第36話 知行合一の教育」をはじめ、「第5話 「四高人」のこと」「第13話 『一切衝動皆満足』の教育」「第16話 アクティブ・ラーニングをめぐって思うこと~デューイとブルーナー~」「第23話 ジョン・デューイの日中比較から考える」「第30話 学ぶべきこと」「第35話 啐啄同時」「第47話 国際関係に翻弄された大学~ハルビン工業大学~」などは、専門分野での見識を発揮しての発信でしょう。
大塚学長の「知行合一」の実践は、相当な拡がりがあります。本書の裏表紙から窺えるように、それは「大学経営・制度運営」「教育理念と学びのかたち」「現場の営みと学生との対話」「地域・国際とのつながり」の各視野で捉えてみることも可能です。
本学は、開学50周年を迎えました。この節目の時に合わせて、こうして纏められた大塚学長の「独り言」に意義深さを感じます。先日9月4日(木)に開催された第12回教育改革シンポジウムにおいて基調講演を頂いた筑波大学の金子元久特命教授は「大学教育の空洞化」を指摘し、そこからの脱出の突破口になり得るとして「教育の実態についての把握とそれを基礎とする情報公開」を挙げて「情報公開を着実に行い、優れた事例に光をあて育てていくこと、さらにそれを他大学にひろげていくこと。そこから新しい改革を生む基礎がつくられると考える」と述べられたことがあります(『日本經濟新聞』2025年1月6日)。本書は、そうした「基礎」の一つとも受けとめられるのではないでしょうか。
読後、思わず続編が楽しみとなりましたが、もう「学長短信」は終了しています。最後の第48話の結びでは「ちょうど学長としての一期四年を終えようとしている今、『短信事始』から四八話を綴って来たのを区切りとして『短信』の筆は擱くのがよかろうと考え、それを実行することにいたします」とあります。今年度からFUKUDAI Magなる「オシャレな名前」に変わった「学長室ブログ」の一つ一つに寄せている「学長から一言」こそショートメッセージ、短信に他ならないとし、控えめにその「『一言』の駄文の上に更に『短信』の駄文を重ねる必要が感じられなくなった」と記されています。ならば、次のは「つぶやき」集でしょうか。まさか!?
学長から一言:近作の拙著の刊行について、大学教育センターの同僚である今井航教授による感想がまさか本FUKUDAI Magに寄稿されるとは、まったく思いもよらぬことでした。社交辞令と分かっていても、過分の賛辞はなお面映ゆいばかりです。「学長短信」として書き連ねてきた気軽なエッセイを単行書として刊行するなど、文字どおりの「屋上屋を架す」の譬えどおりです。しかし、勤務校のことを世間様に少しでも広く知ってもらいたくて行った、学長職にある者としての些細な努力をご賢察いただければ幸いです。






