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学長短信(牟田泰三 前学長) 
Rector Statements by Taizo Muta President

「学長短信」は、牟田泰三前学長が始めたもので、福山大学の大学運営を、どのような考えに立って、どのような方針で進めているのか、などについて、学長から教職員の皆さんに伝えるために、メールで届けているものです。

「学長短信」は、学内の皆さんに読んで頂くだけでなくて、大学外の方々にもこれを読んで頂いて、福山大学のことをより多く知って頂きたいと思います。そこで、前学長のものも含め、「学長短信」のバックナンバーを全て福山大学ホームページにアップすることにしました。

学外の皆さんにも、是非この機会に読んで頂きたいと思います。

☆ 学長短信 ☆ No.18  2009.03.10

☆ 爽やかな風となれ

卒業式では、下記のような式辞を述べたいと思っています。

卒業生の皆さんが、閉塞感に包まれた現在の社会を、一陣の爽やかな風のように吹き抜けてくれることを願って、「爽やかな風となれ」ということばをはなむけのことばとして送りたいと思います。

さて、いまから約1300年前に、唐の長安(現在の西安)を目指して遣唐使船に乗り込んだ19才の青年がいました。その青年の名前は、唐では「井 真成(せい しんせい)」とよばれていました。

5年ほど前に、中国の西安で、日本人の墓の墓誌銘が発見されたという新聞報道があったことを覚えている方もあると思います。西安市の西北大学で、2004年10月12日に、井真成の墓誌銘が発掘されたことが発表されたのです。この墓誌銘から、井真成という日本人青年の存在が知られることになりました。

墓誌銘には次のように書かれています。

「この墓に眠る人の名字は井、名は真成、日本から来た人である。井氏は天与の才に恵まれていたため、日本政府に選抜され、その命を受けて、馬を走らせて長安にやってきた。彼は、努力を重ねて、唐の礼儀作法や風習を学び、教養をよく身につけていた。正装して朝廷に出れば、その姿は誰も並ぶ者はないほどであった。

玄宗皇帝は、井真成の死(西暦734年)にいたく心を痛められ、特別に尚衣奉御という官位を授けられ、葬儀は公葬として執り行われた。死は天の摂理であるとは言うものの、この人の場合は故郷が遠いことが悲しい。その身体は既に異国の土に埋められたけれど、その魂は故郷へ帰ってほしいものだ。」(全文は少々長いので途中省略しました。)

歴史の教科書をひもとくと、奈良時代、西暦717年に、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)や吉備真備(きびのまきび)を乗せた遣唐使船が唐に向かっていることが記載されています。この時19才だった井真成も、留学生として選抜され、大志を抱いてこの船で渡って行ったのでしょう。

墓誌銘から判断すれば、井真成は、眉目秀麗で優れた才能を持ち、努力の結果、唐の都で並ぶものなき人材となり、玄宗皇帝のもとで重要な仕事をしていたことがうかがわれます。しかし36才で早世したために、残念ながら、阿倍仲麻呂や吉備真備のように、歴史に名を残すことはなかったけれど、日本文化の良さを唐の都に伝える爽やかな風となったことはたしかです。井真成は志なかばで倒れたと見ることもできますが、そうではなくて、唐の都で学ぶべきことを人並み以上に学び取り、すでに皇帝のもとで仕えるという重要な任務に就いていた訳だから、志は充分に遂げていたと見ることもできます。晴れて日本に帰国することができなかったのは残念ですが、唐の都に一陣の爽やかな風を送り込んだ日本の青年として、唐の都の人々の記憶に長く残ったことでしょう。

今年卒業する皆さんは、丁度、井真成が大志を抱いて遣唐使船に乗り込んだのと同じ年頃に、福山大学に入学して、本学の教育理念である「人間性を培う教育」のもとで努力を積み重ね、目出度く本日卒業することになりました。皆さんが社会に出て、福山大学で得たものを、余すところなく発揮してくれるならば、福山大学から社会に向けて、爽やかな風が吹き渡り、出口の分からない不況の中にある社会を、大きく変える原動力になることができると思います。

爽やかな風となって、激動の21世紀を切り開いていく皆さんに、大きな期待を寄せています。


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