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人間文化学科 > 教員紹介 > 村上 亮

人間文化学科 教員紹介
Department of Human Culture

村上 亮(むらかみ りょう)

【職名】

講師

【学位】

博士(歴史学)

【専門分野】

近代ハプスブルク史

【担当科目】

世界史、ヨーロッパの歴史と文化、ヨーロッパ文献講読、生活文化史、文化演習など

【メッセージ】

歴史には興味はあるけれど、いざ勉強となると人名や年号を覚えるのが苦手という人は多い のではないでしょうか。しかし歴史学の意義は、さまざまな形でのこされた史料に基づいて現 在の歴史像を再構築することにあります。大きな事件だけではなく、生活文化やスポーツなども題材にしながら歴史の学びを共に深めていきましょう。

■ハプスブルク帝国

私はハプスブルク史、日本でも有名なエリーザベトの時代を専攻しています。具体的には、彼女の夫にあたるフランツ・ヨーゼフ1世のもとに構築された国家制度のありようをボスニア・ヘルツェゴヴィナに注目しつつ、研究を進めています。ハプスブルクの評価は、滅亡直後の「諸民族の牢獄」という否定的なものから、「ヨーロッパ統合の源流」という肯定的なものへと大きな変容をとげてきました。その背景を念頭におきながら、私なりのハプスブルク像を構築したいと考えています。

ハプスブルクの王宮(現在の国立図書館)


■サライェヴォ事件の過去と現在

サライェヴォ事件(1914年6月28日)は、第一次世界大戦の直接的な契機として教科書に必ず掲載されている事件です。しかしわが国においては、ハプスブルクが大戦を引き起こした事実、事件の犯人ガブリロ・プリンツィプやその犠牲者フランツ・フェルディナントについては、あまり知られていません。私は、ハプスブルクが戦争を始めた経過と背景の解明に努めるとともに、サライェヴォ事件に関わる記憶の変容を糸口として、現代社会における第一次世界大戦の意義を明らかにすべく研究を進めています。

今日のサライェヴォ事件の現場


■世紀末ウィーンの2つの顔

第一次世界大戦前夜のウィーンは、衰勢にある帝国とは対照的に音楽、絵画、科学などにおいて画期的な成果を数多く生み出しました。またザッハーなどのカフェ文化を御存じの方も多いでしょう。ただし世紀末ウィーンが華やかな顔だけではなく、ヒトラーを生んだという別の顔を持ちあわせていたことを忘れてはなりません。授業や演習ではウィーンを題材に近代都市の表と裏を受講生とともに読み解いていきたいと考えています。

ウィーン市長ルエーガーの像


■日本=オーストリア関係史

日本とハプスブルク(オーストリア)の正式な国交は、日墺修好通商航海条約の締結(1869年)に始まるといえるでしょう。両国の経済的、外交的なつながりは相対的にみれば弱いものでしたが、政治的、文化的にはさまざまな交流がありました。その範囲は岩倉遣外使節、ウィーン万国博覧会、明治憲法、原爆ドーム(旧広島県物産陳列館)、そしてあまり知られていませんが植民地経営にまで広がっていました。両国の関係史というプリズムを通じて、当時のハプスブルクと日本を再考してみましょう。

ボスニア国立文書館に残された後藤新平の名刺(1902年)


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