京機会100周年記念誌から

  コンピューターと私


  大学院エネルギー科学研究科
エネルギー変換科学専攻
井上達雄


このところ、IT革命とか、情報化と言われて、世間は騒がしい。
筆者も、時代に余り遅れないように、朝から晩までパソコンと格闘して努力はしているつもりである(因みに、やっていることは、殆どが書類書きである。近頃の大学教授は、「雑用」ならまだしも、「事務」をやっていると言われる所以である)。ところが、しょっちゅう、どうして良いかわからないことに出くわす。若い学生に「ちょっと頼む」と言うと、たちどころに解決するのはわかってはいるものの、やがてやってくる定年後には、そういうチャンスもなくなるわけだから、なんとか自分でやり遂げるようにしないといけないと、無駄な時間を浪費するこの頃ではある。
さて、こういうことをやっていると、ふと空しい気持ちになるのは、筆者だけだろうか。
さる造船所で大きな舶用エンジンを見た感激が、機械工学科への入学の動機となり、ナッパ服で油にまみれることが、エエカッコだと思っていた当時と違って、いわゆる"もの造り"の感激が、このころは大学教員にも学生にも欠けているのではないだろうか。
情報ばかりではものはできない。ものがあってこそ、われわれにとっては情報という道具が役にたつ。基礎の勉学とともに、もっと基本的なもの作りに努力し、そのブレークスルーができないと、日本の将来は・・・・というのが、最近とみに思うところである。

そうはいっても、筆者は京大機械の中では、比較的早くコンピューターのお世話になった者の一人と自負してきた。
 学生時代には、手製の試験機を使っての実験に明け暮れると同時に,計算尺、対数表、ベッセル関数表(今の学生はこういうものは知らないという)を片手に、手廻し計算機(タイガー計算機)を朝から晩まで廻して、温度や応力の計算をしたことを思い出す。やっと、当時の金で50万円もするシャープの「電子式卓上計算機CS10A」(世界初、といっても、50cm角の大きなもので性能は今なら数百円のポケット電卓と同じくらい)を買ってもらったときはうれしさのあまり歓声をあげたものである。
また、そのころ、大学に初めて導入された記憶容量が4250word(=23kbyte=4200wordの磁気ドラム+50のコアメモリ)の日立の計算機(KDC-1)の使用時間の予約をするために、まだ明けやらぬ寒い冬の朝早くから、センターの前に毛布にくるまって順番待ちをしたものである。殆どが数字ばかりの機械語のプログラムで、神経衰弱気味になったこともあったが、その威力には感銘をうけた。黒い紙テープに8つの穴の有無の配列を見ただけで、それが何の文字、数字を表すかがわかるくらいになったものである。
 大学院になって、センターに入る予定の2号機(KDC-2)には、なんとA=B+Cと書くだけで計算ができるFORTRANとやらが入っていると聞いた。機械語でやっていた私には、そんなはずがないと思って到底信じがたいものであったが、それが本当だとわかると、大学院の有志を集めて森繁(森口繁一先生)のテキストを教材にFORTRAN研究会を組織して、張り切っていた。
そのころ、アメリカでは、三角形を使って計算をやってるぞと先生に言われたのが、有限要素法の名前を聞いた最初であった。ところが、材料の強度学では、日本一を自負するわが機械教室であるが、どちらかといえば固体の力学に苦手な京都大学機械系の周辺では、具体的なことを誰も教えてくれない。仕方なく、そのころわが国の有限要素法のセンター的存在であった鋼構造協会のSTANという研究会に、修士の学生の分際でかよって、山本、鷲津、山田、川井先生など、東大の先生方に教えを乞うとともに、可愛がっていただいた。しかし、論文を見ても、具体的なことが書いてないものだから、簡単な弾性解析のプログラムができたのは、それから2年近くたってからであった。
余談ではあるが、この有限要素法には少し線形代数、とくに行列や行列式を使うものだから、お前みたいな頭の悪い奴は数学をやっていたら失敗するぞとか、機械は工学だからあまり理学部みたいなことはしないほうがいい、など、今ではお笑い草としか言いようのない「ありがたい」ご意見もいただいた。
いまでも、飛躍的な進歩を遂げているエレクトニクスに比べて、機械工学の歩みは、(個人的な意見で、会員諸先輩には叱られるとは承知の上だが)緩慢であると言うしかない(その中で、大きく進歩したのは、やはり解析技術とコンピューター援用技術であって、これまた、エレクトロニクスのお蔭でもある)。
基礎的な学力の修得とともに、もの作りを見据えた機械工学、工業のブレークスルーを若い会員諸兄姉に期待するものである。


追記;
最近大学教育のJABEE(技術者教育認定制度)の導入が頻りに議論されている。確かに、技術者としての倫理観を学生に持たせるなどの提案はいいことだが、京大でこの制度が本当に必要だろうか。京都大学、少なくとも機械系では、かねてから学部卒業後直ぐに実地に役立つ技術者を養成することよりも、むしろ数学、力学、物理学から機械工学に関わる基礎教育に重点をおいてきたし、それが特徴でもあったはずである。
とくに、学部卒業生の殆どが大学院に進学し、数年前から大学院重点化をした現状では、尚更という気がしないでもない。文部省は、一方では「多様な教育」ということを標榜しながら、片や、JABEEでは表向き言ってはないが、この制度によって、画一的な教育内容になるとしたら、そして言葉は悪いが、京大が高級職業訓練学校への道に陥る危険があるとしたら、如何なものだろうか。時流に流されるのではなく、京都大学らしい独自の教育、研究のありかたを探ってほしいものである。